曇ヶ原 インタビュー第1弾

インタビュー第一弾

interview
2022.02.21

変拍子のリフに日本語詞を乗せ「都市郊外の寂寞」を歌う。昭和のヘヴィネスと令和のセンシティブが奇妙に交錯する。その形態をバンド自らが象った言葉は”プログレッシブ・ハード・フォーク”。それが曇ヶ原だ。しかし、年齢も出身地も異なる4人のメンバーは、なぜ一堂に会したのか? 10年以上に渡る活動の歴史を紐解きながら、その謎に迫る。
石垣翔大(曇ヶ原)

――曇ヶ原ってバンド名は、やってる曲のコンセプトと合っててすごくいいですよね。

石垣翔大(以下、翔大):もともと「地名みたいなバンド名」にしたいと思ってて、曲のイメージに、自分の持ってる心象風景のイメージを重ねてつけた名前ですね。思い返すと、自分の原体験って曇ってることが多かったなという。

――では、最初に曇ヶ原の名義で活動し始めたのはいつ頃ですか?

翔大: 2010年の6月、無力無善寺で初ライブですかね。その頃、今でもやってる『雪虫』って曲が出来まして。当時は色んなバンドを掛け持ちでやってたんですけど、作った曲を発表する場所がなかったので、一人でやってみようと思って曇ヶ原って名前で弾き語りを始めたのが一番最初ですね。

――その当時はどういう感じでお過ごしでした?

翔大:いや~もう、やることなすこと上手くいかないって感じでこう……もがいてた時代ですね。曇ヶ原の前にも、いくつかバンドをやろうとはしてたんですけど、全然箸にも棒にもかからない状態。掛け持ちしてたバンドはまあ上手くやってたと思うんですけど、やっぱり自分の曲を自分でやりたいなあって思いが強くて、その取っ掛かりになったのが曇ヶ原です。

――2010年くらいだと、他にはどんなバンドがいました?

翔大:あの頃、誰がいたかなあ? それこそ無力無善寺だと、大森靖子さんとか。あの頃は月例ライブみたいな感じでやってて、それで一回、いっしょにやったような気がしますね。

a_kira:翔大さん、成人式のときに無善寺に出てた、みたいな話なかった?

翔大:あれはもっと前にやってた、ニューウェイブのバンドのときですね。曇ヶ原を始める3、4年前かな? それが初の無善寺ですねえ。あの頃、バンドは色々やってたけど、何しろツテもなんにもなくて。もうとにかく、1回ライブをやるのにノルマが2万も3万もかかる状況で、金銭的にも疲弊しきってた。そんな中で無善寺だけは2千円だか3千円だか払えばライブができるっていうので、1年ぐらいかな? 無善寺で多分ほぼ毎月やってましたね。

――そのあと、何年かしてからバンド編成になったって感じですか?

翔大:実はバンド編成になる前、僕がエレキギターを持って、ドラムとフルートってトリオ編成でやってた時期があって。2回か3回くらいライブをやったんですよ。

ムJAPAN:それって、俺がソロ(※シーケンサー+ドラムボーカル)で出たときだっけ?

翔大:あ、そうですそうです。その編成のとき、大塚MEETSで曇ヶ原企画をやって、当時、例のKに在籍しつつソロでもやってたムチオさん(※ムJAPAN)に出てもらいました。で、その企画がイベント的にはすごく良かったと思うんですけど……収益的には惨憺たるもので、大赤字だったんですよ。だもんで、ちょっとこれは呼ぶ人の力に頼るんじゃなく、自分で力つけないとダメだなと思って、一回編成を解消するんですよね。それからしばらく、曇ヶ原としては何もしてない時期があったんですが、その時期、2012年にベッド・インっていうアイドルバンドのファーストライブがありまして、それにベースで参加したんですよ。

ムJAPAN:元ベッド・インっていう肩書があるんだ(笑)。

翔大:そうそう(笑)。で、確かその年の秋ごろに、ライブハウスに行ったらベッド・インのドラマーだった石島ようたんと、半年ぶりぐらいに会ったんですよね。話してみたら、向こうも何もやってなくて、バンドやりたいんだっていう。こっちはこっちでバンドを立て直したい時期だったんで、二人で一緒にスタジオに入ったのがバンド曇ヶ原の始まりですね。

ヴァイオラ伊藤(以下:ヴァイオラ):そのときはベース弾いてたんですか?

翔大:もうベース弾いてましたね。「変拍子をやろう」ってのも決めてたんで、変拍子のリフを持ってって、それにドラムつけてもらって……っていうのをしばらくやってたのかな。ギターは最初、てろてろでベースを弾いてたミサキくんという人だったんですよ。元々いっしょにやりたいと思っていたので、三人でスタジオ入るようになったんですけど、しばらくしてからミサキくんが入院して、ギターが弾けなくなってしまった。で、例のKのレコ発を観に行ったときに、東高円寺二万電圧のバーカンでヤミニさん(※例のKのファズベース担当。自主制作レーベル「サイド・カー」主宰。)に「参ったな~」って話をしたら「じゃあ俺、弾きますよ」みたいな感じで、弾いてくれることになったという。

――軽い(笑)。ヤミニさんとはそれ以前から知り合いですよね。

翔大:それこそ、さっき言った企画にも、ヤミニさんが昔やってた断絶間ってバンドで出てもらったりもしてたから、けっこう長い付き合いですね。ヤミニさんが入った後、春先に元々知り合いだったあつみちゃんが入って。あつみちゃんは、「千葉の方に三柴理みたいなピアノを弾く女子高生がいるらしいぞ」って噂になってたんですよね。それで、大学受験が終わったら一緒にやりましょうって話をしてたんですが、ちょうど受験が終わったタイミングだったので声をかけて、入ってもらったって感じ。

――今のギター、ベース、ドラム、キーボードって編成になったのが……。

翔大:その4人です。2013年の春先かな?

ヴァイオラ:そのとき、曲は何をやってたんですか?

翔大:最初にできたのが『砂上の朝焼け』ですね。確か他にもインストの曲もやってて、ファーストライブは『砂上の朝焼け』とインストの曲と、あと『雪虫』の3曲だったかな。それを東京藝大の屋外ステージでやりました。

ムJAPAN:You Tubeに上がってるやつだ。

翔大:そうそう、あれがファーストライブ。

――現メンバーだと、一番先に加入したのはムJAPANさんですが、それはどういう経緯だったんですか?

ムJAPAN:あれ? 俺、翔大くんから連絡もらったんでしたっけ?

翔大:うん、そうっすね。

a_kira:そもそも、二人の出会いはいつごろ? さっき2010年の企画でとか言ってたから、めちゃくちゃ付き合い長いんだなと思ったんだけど。

翔大:そうですね、それこそ僕が10代の頃から客で観てたんで、多分2007年くらいにはこちらから一方的に知ってましたね。

ムJAPAN(曇ヶ原)

ムJAPAN:組織暴力幼稚園のライブを観てたんだっけ? 俺が翔大くんのことを認識したのは多分2009年ぐらいだったかな。最初は、なんの機会だったか覚えてないんだけど、周辺のバンドのライブでも、たまに観にきている子がいて「ああ、あれが翔大くんか」って感じだったかなと。それで俺が曇ヶ原に加入したのは、2016年だったかな。確か……「大阪でライブがあるんですけど、出てもらえませんか?」みたいな連絡をもらったんだよね?

翔大:そうですね。その頃、ようたんから「ベッド・インがメジャーに行くので、ちょっとそっちに活動を絞らせてくれ」という話が出て、曇ヶ原を抜けることになってたんですよね。元々、二人で始めたバンドだったんで、なかなか辛いなっていうのと、私生活も二転三転してた時期だったので、これはもうバンド辞めるかなと思ってたくらいだった。でも、大阪のライブに呼んでくれる人がいたもんで、せっかく声かけてもらったんだから、ちょっとこれはがんばろうと思って、出ることにしたんです。それで、ドラムを誰に叩いてもらおうかって話で真っ先に名前が上がったのがムチオさんだったんですよ。ようたんも「ムチオさんだったら間違いない」っていうことで。

――その頃は、どんな活動をされてたんですか?

ムJAPAN:SEX VIRGIN KILLERっていうヴィジュアル系メタルコアバンドをやってました。で、曇ヶ原からも連絡もらったんで、ちょっとそっちもやってみようかなって感じで。

a_kira:曇ヶ原には、最初から加入って話で?

ムJAPAN:いや、サポートでしたね。

――サポートで最初いきなり大阪遠征って、けっこうハードル高いと思うんですけど(笑)。

ムJAPAN:そうですね(笑)。でも俺は別に、地方に行くのは楽しそうでいいなと。単に興味本位と言うかそういうのもあったかな。それで、ライブに向けて何度かスタジオ入ったんですけど。けっこうメンバーが揃わないことが何度かあって……。確か翔大くん一回休んで、あつみちゃんが一回休んだみたいなのがあった。

翔大:あー。

――メンバー4人で揃わないってなかなかですね。

ムJAPAN:(笑)。大丈夫かなあって不安は内心抱えてましたね。まあでも、ライブは無事行けましたからね。

翔大:その年の年末にもう一本スタジオライブが入って。それもホントは出るつもりじゃなかったんだけど、そのイベントを企画した人がもう音楽をやめちゃうっていう話で「最後の企画だから、せっかくなんで出てほしい」……っていう依頼だったんですよ。その人とも長い付き合いだったんで、これも出ましょうという話になって、出たんですよね。そしたら、そのスタジオライブが思ったより反響が大きくて。それまでバンドやめる方に傾いてたんですが「これはもしかしたら、もうちょっと続けてるといいことあるんじゃなかろうか」というふうに持ち直したんですよね。ですけど、そのスタジオライブをもって、当時のギタリストだったエンリケ後悔王子が脱退っていうことになった。

――それはどういう経緯で?

翔大:理由としては、音楽的にだんだんズレが生じてきたっていうのと、やっぱりようたんのドラムじゃないと厳しいっていうことで。ムチオさんも当時サポートだったので、Twitterに「ギターとドラムを募集します」っていう投稿をしたのかな。そしたらヴァイオラくんが連絡をくれたっていう。

ヴァイオラ伊藤(曇ヶ原)

ヴァイオラ:そのメンバー募集を見たのが、僕が入ったきっかけですね。確かその時の投稿に、9枚くらいアルバムのジャケット画像が添付されてて「これピンときたら連絡ください」みたいな内容だったんですよ。

翔大:やってた(笑)!

――Twitterでジャケット9枚並べるやつ、当時ありましたね(笑)。

ヴァイオラ:そこにAnekdotenと『ポセイドンのめざめ』が入ってたのをよく覚えてますね。他のやつはわかんないけど、この2枚がわかれば多分大丈夫だろうって(笑)。

――そのとき、他の活動はどんな感じでした?

ヴァイオラ:あまらかまらってバンドをやってました。でも、僕の仕事が忙しすぎて活動が止まっちゃった時期があって、ちょうど2016年の11月ぐらいに転職したんですよね。それで余裕ができたから、あまらかまらも再開できそうだし、もう一個ぐらいバンドやりたいなってタイミングで、年末くらいにそのTweetがあったんでしたっけ?

翔大:うん、そうだね。

ヴァイオラ:最初に見たTweetは、確かドラマー募集だったんすよね。僕そのとき曇ヶ原はなんとなく知ってたので、ドラムで応募しようかなと思ったんですよ。それでSoundCloudで『うさぎの涙』を聴いたら「あ……こりゃ無理だ」と。

ムJAPAN:ははは(笑)。

ヴァイオラ:それで一回見送ったんですけど、そしたら後からギターの募集も流れてきて、これはもうチャンスだっていうことで応募しました。

――ちなみにそのとき、ギタリストで他に応募してきた人はいました?

翔大:いや、来なかったです。

ヴァイオラ:僕、絶対先着順だろこれは! と思って、見た次の瞬間にDMしたんですよ!

一同:(笑)。

ヴァイオラ:それと、応募した後でムチオさんがサポートやってることを知ったんですけど、ムチオさんのことはそれ以前からTwitterで知ってたんですよね。ムチオさんがソロで、『ストⅣ』のサガットのテーマをドラムで叩いてる動画があって。

ムJAPAN:やってた(笑)。

a_kira:あはは(笑)。

ヴァイオラ:「この曲を、人力でやるんだ……」って感動してムチオさんにリプライ送った記憶があるんですよね(笑)。

ムJAPAN:俺もそれはなんとなく覚えてて、ヴァイオラくんとは相互フォローになってたんすよね、数年前に。で、ヴァイオラくんがギタリストとして入った初めてのスタジオで、「あ、相互フォローの人か!」って驚いた。

ヴァイオラ:そこはマジびっくりしましたね。

ムJAPAN:ヴァイオラくんはそれまで顔出しでの活動とかしてなかったから、Twitter上だとどんな人かわかんなくて。

a_kira:そのときが初めましてみたいな感じだったんだ。

ヴァイオラ:ほんとに初めてでしたよね。

ムJAPAN:オフ会的な感じだなあと(笑)。

ヴァイオラ:すごい時代だな~と思いましたね……。

翔大:その最初にヴァイオラくんとスタジオ入ったときのこと、覚えてますね。初めてやった曲が『うさぎの涙』か『3472-1』だったか、とにかく曲が長いんで「最初はできるところまで切りながらやっていきましょうか」みたいな感じで言ったんですけど。曲の頭から始めたら一発でお尻まで通せて「やった~! すごいギタリストが現れたぞ!!」と思いましたね。

一同:(笑)。

ヴァイオラ:言いましたよね、「やった~!」って(笑)。

――やっぱり結構練習したんですか?

ヴァイオラ:……超~しましたよ。

ムJAPAN:あはは(笑)。

ヴァイオラ:僕、大学のサークルでずっとプログレのコピーやってたんで、長い曲への耐性は、他人より全然あると思うんですよね。にしても長いし、まあ難しいなっていう。エンリケさんのギターもかなり独特だったので、それを最初ちゃんとコピーしようと思ってけっこう苦労した覚えがある。

――でもファーストアルバムの録音って、実は人力でやってないところも多いみたいな。

ヴァイオラ:ああ、そうそうそう(笑)。実はオーバーダブしていたところもあるそうで……。

翔大:そうね(笑)。

a_kira:へえ~。

ヴァイオラ:でも、当時はそんなこと知らないので、なんとかそれを手で弾こうと練習してましたね(笑)。懐かしいな。

――その後、一度休止期間がありつつ、a_kiraさん加入で復活という流れですね。

a_kira:そうですね。休止する前は翔大さん、ムチオさん、ヴァイオラさん、あつみさんの4人でやってて……僕はその体制の曇ヶ原と、マリア観音で一回共演してるんですよね。2017年12月21日の新宿Motionかな。

ムJAPAN:あれ、団地ノ宮とかも出てたときですよね?

a_kira:そう、スリーマンでしたね。で、そのときに初めて観させてもらって。偶然なんですけど、翔大さんと僕の共通の知人が来てまして、ライブが終わったあとに色々話しましたね。なんか翔大さんも、僕がJ・A・シーザーのバンドでやってたりするのを知ってくれていたから。

翔大:そうですね。

a_kira:それで、そこら編のシーザーとか森田童子とか話をしましたね。「森田童子の『春爛漫』のベースラインはカッコいい」みたいなこと言ってた気がする(笑)。曇ヶ原のライブも、ものすごくかっこよかったんで「いや~すごかったな~」と思ってたんですけど、その次の年くらいに一回活動休止になったんでしたっけ?

a_kira

翔大:そうですね。ラストライブが2019年5月とかだったんですよね。

a_kira:音楽ナタリーかなんかでニュースが流れてきて、マリア観音の平野さんと「曇ヶ原が活動休止するらしいっすね」「ねえ、残念だねえ~」みたいな話をしてましたね。

翔大:色々あって一度休止したんですけど、休止中にヴァイオラくんと「やっぱやらない?」みたいな話をした気がするんだよな。

ヴァイオラ:そのとき二人でアコギの弾き語りをする、曇ヶ原ユニットっていうのをやってたんですけど、「バンドをやっぱやりたいですよね」って話をしてましたね。

翔大:それで、キーボードはa_kiraさんがいいんじゃないかっていう話になって、連絡した……はず。

a_kira:そうですね、DMもらって。ただ、僕があんまり長いプログレとか変拍子をそんなに得意としてるっていうわけでは……。

――そ、そうですか?

ムJAPAN:(笑)。

a_kira:ガチのプログレオタクではないので(笑)。なんかマリア観音とかはちょっと違う感じがするじゃないですか。ちょっと感覚的というか、動物的な感じなので。曇ヶ原は、しっかりしたちょっとクラシックみたいな感じで、ものすごく細かく決まっている印象があったので、「ちゃんと上手くやれるかなあ……?」と思ってましたね。一回スタジオに入ってちゃんとやれるかどうか試したい、って感じでした。それで音源もらって、楽譜は自分で用意したんですけど、変拍子とリズムチェンジの記号をあんなにたくさん書いたの、人生で初めてでしたね(笑)。

一同:(笑)。

a_kira:最初のスタジオのときは、ムチオさんがいなかったんですよね。

ムJAPAN:そう、ほんとは行くつもりでいたんだけど、リハ当日に父親がちょうど病気で倒れちゃったのでキャンセルさせてもらって……。多分俺、人生でスタジオをキャンセルしたの、初めてくらいじゃないかなあ。他にも当時在籍していたうしろ前さかさ族のスタジオとかサポートのバンドのスタジオも色々予定あったんすけど、全部キャンセルって状況だったんですよ。母も足が悪かったので生活のサポートしなきゃだし、「俺バンド出来なくなるかも」って地元の長野に向かう新幹線のホームで泣いた。

a_kira:で、てろてろのドラムの矢野くんに当日電話して、急遽来てもらってましたね。

ヴァイオラ:ちょうどその日の午前中が、てろてろのライブだったのかな?「スタジオ来れる? リハ入るんだけどドラム叩けたりしない?」みたいな電話をしたら「何時からですか?」って、けっこうノリノリで(笑)。それで来てくれて、ちゃんとドラム叩いたっていうのが矢野くんのすごいところ。

翔大:そうそうちゃんとね。

――矢野くんはその前に、サポートで曇ヶ原のギターも弾いてましたよね。

ムJAPAN:あ、そっか。やってたよね。

ヴァイオラ: 2018年の大晦日に、四谷アウトブレイクでやったときですよね。

ムJAPAN:曲の構成はちゃんと把握してるもんね、ギターを弾いたわけだから。

a_kira:曇ヶ原の曲って、構成を把握してても叩けるもんじゃない(笑)。

翔大:確か、てろてろのライブを新宿でやって、高田馬場のスタジオまで歩きながらドラム覚えてきたって話。

a_kira:すごいな~と思った(笑)。その最初のスタジオに入った時期なんですけど、僕はずっとやってたシーザーのバンドを2018年に辞めていて、当時はマリア観音だけになってたんですよね。まあマリア観音ってけっこう……言うとあれなんですけど、やってて快楽があるというよりかは、割りと修行っぽい感じ(笑)。

一同:(笑)。

a_kira:それで「楽しい音楽もやりたい」というのがあって(笑)。8ビートを決まったビートでプレイする、それにハモンド・オルガンの出番があるバンドってなかなかないから、変拍子とかの問題がクリアできれば楽しくやれそうだなと思ったんですよね。で、最初に入ったスタジオがものすごく楽しかったんで、これはぜひやりたいなと思って「お願いします!」って感じで。もうその日のうちに加入することに決めたんじゃないかな。

ヴァイオラ:スタジオで「やった~!」って絶叫したような記憶がある。

一同:(笑)。

a_kira:あとなんか、新曲みたいなのもその場でやりましたよね。

翔大:ああ、やりましたね。

a_kira:翔大さんが「ちょっと考えてる曲があるんだけど……」って、ホワイトボードにコード構成を書いて、その場でバッとやってみたらいい感じだった。

ヴァイオラ: a_kiraさんがやるともう音が分厚いし、カッコいいしで。勝ちを確信した瞬間でしたね。

曇ヶ原

――2019年11月に現在のメンバーで活動再開する感じですね。コロナ期間が始まってからの、ライブをやれてなかった時期はどうされてました?

a_kira:2020年の4月ぐらいから緊急事態宣言って感じですよね。直前に新高円寺LOFT Xでライブをやって。

翔大:あ、そうだそうだ。

a_kira:その後に決まってた色々が飛んだので、「じゃあアルバムを作りましょうか」って準備し始めたんでしたね。

ムJAPAN:アルバム作り始めようって話自体は、2021年の2月くらいじゃなかったっけなあ。

ヴァイオラ:そうですね。具体的に動き始めたのは2月ぐらい。

a_kira:ドラムを録り始めた直後に、ディスクユニオンの永井さんがグッドタイミングで「CD出しませんか?」って話を持ってきてくれたような。

ヴァイオラ:”ProgTokyo”の動画を観てくれたんでしたっけ。

翔大:そう、『河津桜』を観てくれて。

ヴァイオラ:それでたまたま「作りませんか」って声をかけてくれて。結果的にそれに乗れた。

a_kira:最初は自主制作盤のノリでしたね、予定としては。

――今回の音源制作は、全部バンド内でやってるんですよね。

a_kira:全部そうですね。

ムJAPAN:パンク・ハードコアバンド級のDIY精神ですね。

a_kira:DIYリモートレコーディングですね(笑)。全員で、いっせいの、でやったのは一曲もなくて。ムチオさんは一人でスタジオに入って、ドラムにマイク立てて録ってもらって。ベースとギターとキーボードとかは自宅でラインで録って。ボーカルとギターのアンプ録りはスタジオに入って録った、って感じですね。

――それでこのクオリティのアルバムができるんだ……! って感じです(笑)。

ヴァイオラ:そこはもう200パーセントa_kiraさんのパワーですね。

ムJAPAN:最初にテンポマップを作ったので、録音はしやすかったですよ。

a_kira:Studio Oneで共通のプロジェクトを作って、それをお互いにやり取りし合いながらって感じで。

翔大:下準備をちゃんとやったっていうのがある。もう、最初のアルバムとか酷かったからね。スタジオ入ったときに「曲のテンポがわからない」って話になって。「こんなもんだったかなあ?」とか話しながらテンポを決めていくっていう……。

一同:(笑)。

ヴァイオラ:お陰様で、アルバムは非常に売れているようでありがたいですね。

a_kira:海外からも注文が来てるみたいで。アメリカの結構有名なディストリビューターで、プログフェスの主催もやってるみたいな人が「曇ヶ原めちゃくちゃいいね」みたいな感じでメールを送ってきてくれたり。コロナ禍が落ち着いたら、アメリカ行くことがあるかもしれないですね(笑)。個人的にはヨーロッパとかのほうがウケるんじゃないかなと思うんですけど、今の所アメリカの方が反応がいいのがちょっと意外ですね。アメリカって、イメージ的には曇ってないじゃないですか(笑)。

ヴァイオラ:アメリカとかだと、あまりにもない文化だから、逆に斬新でウケてるとか。あと、Twitter観てるとメタル好きな人も結構聴いてくれてるみたいですね。

ムJAPAN:でもサウンド的には全然今どきのメタルって感じじゃない。ドラムの音とかカチカチじゃないし、丸みと奥行きがあって気に入ってます。

ヴァイオラ:ですよね。いわゆるドンシャリな感じでもないので。

ムJAPAN:ないっすよね全然。でもそういうのも受け入れてもらえてるのが面白いなと。

翔大:まあ色んな人に聴いてもらいたいですね。

――直近では東名阪ツアーなども控えてますが、今後の活動に向けての意気込みなどあれば。

翔大:今は、バンド史上最高といってもいい状況に恵まれているので、このまま波に乗って、とにかく色んな人に観てもらいたいです。それと、まずは新曲を作りたいですね。アイデアはあるんですけど、それを早く形にしてお披露目したい。

――今回のツアーでは出来そうですか?

翔大:うーん、どうだろう……。ツアーでも出来ればいいけど、今作ってるのがだいぶこう……ヒラヒラした曲なんで。あの~、今回のツアーが、かなりハードコア寄りのツアーになってるので。

a_kira:対バンがみんなゴリゴリにこう(笑)。

翔大:なんで、ちょっとここで披露するにはシンフォニックすぎるかな~という感じがある(笑)。まあ、それは完成させて、別の場で披露したいですね。

インタビュー・構成:和田慎平 2022年2月上旬収録
写真・Taro OTSUKA

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